mnre's diary

むぬれと読みます

2020秋アニメ評

 ネタバレしかありません。

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

f:id:mnres:20201230220553j:plain www.lovelive-anime.jp

あらすじ

 虹ヶ咲学園に通う上原歩夢と高咲侑はいつもの放課後漫遊中にスクールアイドル・優木せつ菜のライブに遭遇し、「ときめく」。スクールアイドル同好会の元部員たちは新たなメンバーを迎え、人間関係や個人的な悩みを仲間とともに乗り越えていきながら、廃部となっていた同好会を再興していく。やりたいことがてんでんばらばらな9人、それでも皆の「好き」が一堂に会するお祭り・スクールアイドルフェスティバルみんなの夢を叶える場所を成功させたいという思いは同じだった。そうして迎えた当日。雨上がりの夕暮れ、9人は揃って「あなた」に向けて感謝のライブを開くのだった────

長話

 最初は所詮ラブライブの3番煎じだろうとマークしていなかったのだが、11話の衝撃的な展開の話を聞いてこれは見ずにはいられないと1話から見始めて、すっかりハマってしまった。今ではYoutubeでライブシーンをリピート視聴し、ニコニコ動画で切り抜き動画を漁り、まとめサイトで同好の士のコメントを楽しむ始末だ。「ラブライブ」シリーズで作画はサンライズということも安心して視聴できる要因になった。

 少しだけこのアニメのからくりを説明させてほしい。スクールアイドル同好会の一員としてアイドル活動はせず部員の支援に徹する高咲侑は、原作といえるゲーム「スクスタ」内での「あなた」(プレイヤー、アイドル活動を支える)の便宜的な投影先である。アニメ内では高咲侑は人格を持ったキャラクターとして存在し、アニメ自体も一人称視点ではなく神の視点で進行するが、最終話のライブでこの設定が大きな意味を持つことになってくる。

 このアニメを見てまず初めに抱いた印象は「公式がカップリングをぐいぐい押してくる」というものである。本作では明らかに一対一の人間関係に重きが置かれていて、百合好きには嬉しい面であった。アニメの構成を見ても2〜9話は全て個人の特集回で、登場人物一人一人にスポットライトを当てて、それぞれが内面に抱えていた問題や葛藤を、ある特定の他の人物(たいてい一人)とともに解決していくという流れになっている。前前作や前作では学年団ごと、そして全体での絡みが比較的多かったが、それでも回を重ねるごとに全員のことが好きになっていくというシリーズの共通性は、本作でも全く変わっていなかった。ここがラブライブアニメの最大の魅力なのだと思っている。特にソロのライブシーンは物語性、2Dと3Dの融合、カメラワークなど全てが洗練されており、非常に完成度の高いものとなっている。ちなみに僕の推しカプはしずかすです…

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 そしてカップリングといえば、本作では避けて通ることのできない「ゆうぽむ」である。仲間たちのアイドル活動を応援していく中で自分のやりたいことを見つけ出した侑と、あくまでも侑一人の存在にこだわる歩夢の互いの距離感の乖離が「押し倒し」という性的とも言えるような形を持って表面化したことは驚きをもって受け止められた。個人的には、12話冒頭の歩夢が侑の腕を自然に取って登校するシーンにも言いようのない狂気を感じた。結局この独占欲の暴走は、侑のために始めたアイドル活動によって新たな人間関係が生まれ、自分の中での侑の存在が相対的に小さくなっているという矛盾への恐怖が原因であると結論づけられ、始まったのなら貫くのみ、というせつ菜の助言によって歩夢は自分自身と折り合いをつけることができた。百合というよりは単なる一方的な依存、人間関係の変化に対する恐怖と見た方が収まりは良いのかもしれないが、それでも従来には見られなかった強烈な感情の発露に思わず見入ってしまった。他人に対する狂気的な独占欲ほど傍から見ていて面白いものはない。結局、「なにもかも変わらずにはいられない」(古河渚)のであり、それを受け入れることが子供から大人へと成長する際に登らなければならない階段の踏み面の一つなのだろう。もっとも、ここに足を置くかどうかは人それぞれだが。独占欲の暴走は今期では「足立としまむら」でも見られるテーマである。

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 そして13話。ライブの話は前項の通りだが、ここで言う「あなた」とは、高咲侑であり、ライブに集まったファンであり、視聴者である。視聴者の分身でありながら別個体として存在していた高咲侑は、この瞬間に視聴者と同一化する。そして、「あなた」への感謝に加え、今まで支えられていた側であったアイドルたちが、今度は支える側になるという、成長の証であり、決意表明のステージでもある。ここに一人ひとりと侑が仲睦まじく過ごすカットが挿入されているのだから、涙なしに見ることはできない。「あなたと叶える物語」、ここに極まれり。

 余談。同じく13話、休憩中のかすみにしずくが話しかけ、慈しむようにかすみの髪を直し、髪飾りをプレゼントするシーン。神作画。しずくもかすみも、その二人で話してるときは本当に自然体の可愛さを見せてくれる。だからこそキャラクター個人だけでなくこのカップリングも素晴らしいものになっている。尊い。本当にありがとうございました。

 長くなってしまいましたが、ストーリー、作画、登場人物、どれを取っても今期見た中では一番好きなアニメです。二期の方も何卒よろしくお願いします。

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↑かすみんかわいい……

安達としまむら

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あらすじ

 授業サボりで体育館2階常連の安達としまむら。安達は次第にしまむらに好意を抱き始めるが、人間関係に不慣れな安達は距離感の詰め方がわからない。紆余曲折ありながらも親睦を深めた安達はしまむらの家に泊まりに行くのだが────

長話

 明確な結末は描かれずに最終回が終わった。このような終わり方は「やがて君になる」(2018)を彷彿とさせる。原作は読んでいないのでアニメだけの内容で語っていきたい。

 アニメ自体は良くできていたと思う。いわゆる百合ものだし、メインヒロインは鬼頭明里伊藤美来である。制作が手塚プロダクションで少し不安はあったが、作画が大崩れするようなこともなかった。ころころ表情を変える安達にこちらも一喜一憂してしまった。

 しかし、これはハッピーエンドなのか?と聞かれると、はいと即答することはできない。それぞれにとって相手の存在の比率があまりに違いすぎるまま最終回を迎えたからだ。

「いつか、…隣に誰もいない未来、…満開の桜を見上げながら、春の道をゆく日がやってくる。それまでは、目の前に咲く桜(※安達の下の名前は桜)に満足するのも悪くない」

 しまむらが他者に対して強い関心を示さないことは作中で示されていた気がするが、最終回の一番最後のしまむらのこのセリフは、安達を一時的な手慰みの相手程度にしか考えていないということをあけすけに表現しているようにしか聞こえない。

 一方で安達のしまむらへの執着は異様とも言える。女性としてしまむらのことが好きというよりは、しまむらに家族的な愛、信頼できる他人との密接なつながりを求めているのだろう。しまむらが安達を妹のように扱うシーンは結構多かったように思う。安達の家庭事情に関する示唆もあった。

 余談だが、しまむらのような人間に一度魅力を感じてしまうと非常に厄介なことになる。こちらがいくら好意を示しても、尽くしても、相手とは一定以上仲を深めることができないし、何も返ってこない。例えるなら自転車のようなものだ。漕いでも漕いでも、こちらが漕いだ分しか進まない。漕ぐのを止めれば減速し、止まり、そして転倒してしまう。作中によく登場する自転車を二人の関係性の象徴だと考えるのは、少し飛躍しすぎているだろうか。

好きなシーン

 #11、エキシャーマンが登場するシーン。変幻自在に声を変え、コミカルシーンからシリアスシーンまでしっかり演じ切る日野まり氏、まさに名脇役

おちこぼれフルーツタルト

ochifuru-anime.com

あらすじ

 売れない芸能人の寄せ集めユニット「フルーツタルト」。下宿先のねずみ荘の取り壊しを防ぐべくアイドル活動に邁進する。

 (最終話の放送が遅かったので見終わってません)登場人物全員が特殊な性癖を持っているというやべーアニメ。金髪金眉の女が(比較的)一番マトモ。日常に足りないエッチさを求めるあなたに超おすすめ。

ご注文はうさぎですか? BLOOM

gochiusa.com

 ごちうさでアニメの義務教育を履修した者にとってはやはり3期は感慨深い。特に中学生の頃に1期を見て、高3の今3期を見終えた身としては、自分の過ごしてきた時間と彼女たちの成長を重ね合わさずにはいられない。言うなればごちうさは母校の先生である。

神様になった日

kamisama-day.jp

あらすじ

 ある夏の日、大学受験の勉強に勤しむ成神陽太の前に、全知の神を自称する少女・佐藤ひなが現れる。彼女は成神家に居候することになり、騒がしくも楽しい毎日を送っていたが、時折「この夏で世界は滅びる」と不穏な台詞を口走っていた。実はひなは先天的な病で認知機能が低下しており、それを「おじいちゃん」が作ってくれた量子コンピューターを脳内に埋め込むことで補っていた。その存在が悪い人たちにバレてしまい、人類の利益のためにと彼女を連れ去り、脳内からコンピュータを摘出してしまう。山奥の療養所に入れられたひなは廃人化しており、当初は陽太のことも敵と認識する始末だったが、陽太の努力の甲斐あってひなは陽太や友人たちと過ごした夏休みを思い出し、陽太とともに暮らす選択を下したのだった────

 麻枝准氏の作品といったらCLANNADやABくらいしか触れたことがなかったのだが、それらを軽く超えるという宣伝文句だったのでかなりの期待をしながら視聴した。結果として裏切られてしまった。

 廃人化は両刃の剣だ。ABやCharlotteでは身体機能や記憶が失われてしまっていたが、それでも認知機能に問題はなく、彼らの今後の人生には大いに希望が持てた。しかし先天的な病で認知機能が失われ、余命も分からないとなると、そういった希望は一切潰え、視聴者のもとに残されるのは元気だった頃のひなの思い出と、彼女の介護や治療法の発見に生きがいを見出す陽太のみである。僕はもともとそういう系統のコンテンツを受け入れられるような度量のある人間ではないというのも影響しているのかもしれないが、それでも今のひなの前で元気だった頃のひなのビデオメッセージを流すという仕打ちには愕然としたし、退院後のひなと陽太の距離感に見る依存関係にも辟易としてしまった。価値観が合わなかったのだろうか。

(再放送)Charlotte

 割愛、でも本当にいいアニメでした……

(再放送)這いよれ!ニャル子さん

 数え切れないくらいのニャル子の愛と雀の涙ほどの真尋くんのデレを楽しむアニメ。

(再放送)ARIA THE ANIMATION

 テラフォーミングされた火星の都市「ネオ・ヴェネツィア」で、小型船の漕手として観光案内をする一人前の「ウンディーネ」を目指す少女たちの日常の一片。ごちうさが可愛い系の癒やしだとすれば、これは癒やし系の可愛さだろう。コミカルな場面もあればシリアスな場面もあり、その塩梅が丁度よい。また、BGMのクオリティが異常に高い。「ショーロ」というブラジル音楽の流れを汲んでおり、一言で言えば癒やし系のギター音楽ということになるのだが、これが幻想的な世界観と絶妙にマッチしている。制作は2005年だが、15年たった今でも色褪せないアニメ。このアニメに出会えたのは本当に幸運だった。

おわりに

 これ書き終わるまで年越せねえ!と思って10時間ぐらい費やしました。2020年の記事はこれでおしまいです。一年間ありがとうございました。来年も当ブログをよろしくお願いいたします。